所在地・交通 |
神戸市兵庫区上三条町5-7 |
休日 |
月曜日 |
営業時間 |
6:30-22:00 |
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印象・規模 |
下町の由緒ある温泉銭湯。大きめの銭湯といった風、番台式、男湯は右、カラン19席。 |
湯船・お湯 |
ちょっと黄色がかった天然温泉、男女壁沿いに手前から浅風呂、深風呂、高温風呂、泡ジェット風呂、浴室入ってすぐにあがり(掛かり湯の水槽。 |
ジェット泡風呂 |
バブルス・マッサージと英語で書かれている。 |
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感想 |
2004年7月 12時
2004年8月1日での天王温泉の廃業を知ってからの駆けつけ組。店のすぐ近くに住んでいたというドリプシさんに教わったのだけれど、天王温泉がある神戸の平野界隈というのはヤバイ(いい味)らしい。さっそく、京都から原付でフラフラになりながら到着。ざーっと町を歩いて、う〜ん、怪しい(笑) 最寄りの駅から歩くと20分はかかるであろう立地のわりに平野市場、商店街と栄え過ぎなのだ。それに古本屋が3軒もあって文化的。尋ねてみると大正2年(1913)から昭和43年(1968)まで平野は有馬道から平野までを南北に走る神戸市電平野線の終着駅だったらしい。「平野は市電がなくなってからあかんようになったなあ」って、もう35年前やん。
なるほど、昔は天王温泉がある平野温泉郷一帯まで市電が通っており、温泉城下町として市場や商店が建ち並び栄えていたってことか。市場への仕入帰りに温泉でひとっ風呂って極楽やん。それに住所が上三条町、祇園町と京都風だが、なんといっても福原遷都時の平清盛がこの平野郷の温泉(湯屋)に入りに来ていたというんだから、さもありなん。長い歴史がある町の由緒ある温泉の一軒がなくなる、神戸の歴史的敗退だねえ。
その平野の交差点から山手に5分ほど歩いた川沿いにある天王温泉。界隈にひときわ目立つ煙突と川の向こうからも来られるようにとかけた赤い欄干の橋、屋根先にかかる松の木が風情。のれんの横にはほこらがあり「平清盛が・・」などの由緒が語られている。建物は瓦屋根が立派な和風建築、上を見上げると小さいながらも金のしゃちほこに唐破風造り。店先にはベンチがあり、常連客が湯上がりに世間話、温泉は湯上がりが楽しみだ。店先には「おはようございます。開店までしばらくお待ち下さい。ご近所は安眠中です。お静かにお願いします」と、朝6時半に開店の温泉銭湯ならではの札がかかる。
入浴券は自販機で。男湯は左側、引き戸を開けると番台の銭湯風情、というか銭湯だなあ。脱衣場はほれぼれするような格天井に男女壁の上は欄間の透かし彫り、上からつり下がった照明など、ほぼイメージの銭湯情緒そのまま。ロッカー(DANKEN)は79個と多く、男女壁側にも並ぶ大阪風。また、脱衣場の表側には四畳半の座敷があってくつろげ、戸棚には常連の置き桶が。その座敷の前には何十年か前に一世を風靡したベルトマッサージ機、これだけは一見の銭湯でやる勇気はない。壁には「天王温泉要録」の由緒書きと昭和29年の温泉分析書。これによると大正時代などは料理旅館を併設した立派なものだったらしい。さすがは明治38年創業だけはある。
浴室前スペースは2段差、入口はモザイクタイルでぐるりと囲み、下部はブロックガラス。浴室は男女壁側に浴槽群、外壁側にカランが並ぶ。外壁側は奧に行くにつれ先細る舟形のような感じ。天井は八角形の湯気抜きで、夏の昼の日差しが照りつけている。壁のタイルは腰回りまでが黄色で上が白タイル、全体的な色合いはイエロー銭湯だ。男女壁はブロックガラスにところどころに赤青黄の色ガラスでアクセント。この女湯が透けて見えるか見えないか(透けないんだけどね)具合がロマン。
さてさて、肝心の石の浴槽のお湯は手前からぬるい子ども・初心者用、熱い一般客用、上級者用の超高温風呂に分かれている。平日の昼間、客は年寄りばかりだったが高温風呂には誰も入らない。よーし、ボクちゃん入っちゃうぞー、と波を立てずおそるおそる。かー、熱いねえ。45度くらい? 一分でギブアップ、奧のバブルスマッサージ風呂とやらに入る。泡で温泉の成分がかき混ぜられるからなのか、浴槽に湯の花がついて楽焼きの茶碗のようにいい色になっている。
湯上がり、浴室入口の蛇口からペットボトルに温泉水を入れる人がちらほら。廃業までには一週間ほど間があったのだが、常連さんは今から名残のあいさつ。年寄りの客は年配なりの諦観で「さみしいなあ」と淡々としているのが印象的だった。 |