2000年9月

淡路旅行も4日目、あっさりとしたものが食べたくなった。
ちょうどハモの季節だ。『るるぶ淡路島』を読むと、沼島が本場らしい。
洲本の図書館で『オニオンプレス』というタウン誌のバックナンバーで
沼島に一軒残っている銭湯のことを知った。
これは行くしかない。バイクを走らせる。


沼島の位置淡路島の南に位置する沼島。
「ヌシマ」と読む。
淡路島の南方4.6キロにあり、面積2.64平方キロ。
周囲約10キロ。
沼島データ
土生からの眺め
洲本から一時間、山間のワインディングロードを抜けると南淡路水仙ライン。
冬は水仙でいっぱいになる海岸道路である。
途中「ナゾのパラダイス」があっておばちゃんが手招きしている。思わずブレーキを踏んでしまうが客引きなので気に留めないでもいいです。
沼島には土生(ハブ)港からフェリーで15分程度。
船内には、釣り客、淡路島の高校に通う沼島の子供など。
沼島汽船
土生港〜沼島1日10便片道420円・往復切符800円
車両は乗船できないので土生港の駐車場にとめる1日300円
もうかなり前のことになってしまったがTBS系で「沼島の春」というお見合い番組を放送していた。
嫁不足に悩む沼島にどうにかお嫁さんを!、という番組。
たびたび登場したこの歓迎看板。
この日はまたTBS系の番組作成で取材陣が上陸していた。
僕もよくこの取材陣に間違えられた。
若者は皆、取材の人だと思ってるおばあちゃんもいる。
まずは腹ごしらえ。 なんといっても今日はハモを食べに来たんだ。港に降り立つとまず「木村屋旅館」が目にはいる。沼島で唯一の旅館だ。情報誌にも載ってる。 でもちょっと敷居が高そう。
テクテク歩いていたら、あさやま食堂を見つけた。
ハモ天定食、フワフワ、至福の一時。
後で聞いたら沼島には食堂が木村屋旅館とあさやま食堂の 二軒しかないらしい。見た目敷居が高そうな木村屋旅館も 結構リーズナブルらしいんでよろしく、とのこと。
さっそく銭湯巡り。
細く坂になった路地を物珍しそうに歩く怪しい観光客の趣。
ふと目に留まった建物。
随分前に廃業したみたいだが「えびす湯」とかいてある。
横三枚の板を貼ってあるところが男女の入口。
向かいの駄菓子屋のおばちゃんに尋ねた。
「もうやめはって4、5年になるかな。」
暗雲立ちこめる、入浴セット持ってきたのに。
再びテクテク路地を歩き始める。
以前は石畳だったが今はコンクリート舗装されている。石畳の頃が懐かしい、とおばあちゃんがおっしゃった。
この写真は「大黒湯」、去年の冬まで営業されていたらしい。残念、一年遅れ!まだ新しい屋号の看板が悔しさをかき立てる。男湯のロッカーが「いろはに」、女湯のロッカーが「壱弐参四」と番号が振られてあり、銭湯マニアが珍しがって尋ねてくることも多かったそうだ。
この大黒湯、横から屋根を見たら数枚の貯水タンクがあることが分かる。
朝このタンクに水を貯めておき、太陽熱で暖める。
燃料の節約に役だったのだろうか。
瀬戸内の照りつける太陽のなせる技、直接的ソーラーパワー。
駄菓子屋のおばちゃんが色々話をしてくださった。
「沼島の春」でお嫁さんが来たそうだ。
全島で10件ほどカップル成立したらしい。
沼島には駄菓子屋が多い。
なにかの本で読んだけど、漁師町は基本的に多いらしい。漁に出て子供にかまってやる事が出来ないので駄菓子を与えたとか。漁師町は大漁での臨時収入が多いので嗜好品の店が成り立つ。
京都では銭湯と理髪店がセットだが、沼島では銭湯と駄菓子屋がセット。
僕が大阪出身だというと、親戚の話をしてくれた。沼島は江戸の昔から大坂の雑喉場に魚を運んだ。若い娘は花嫁修業のため必ず大坂の商家に奉公した。戦後は島を離れた人が多いが移り住んだのはほとんど阪神間だ。
盆暮れとお祭りには阪神方面から臨時便の船がでる、その時ばかりは島が人で溢れかえる。

細い路地に面した家はバッタリという床机を路地に面して付けていることが多い。
だからいつでも何処でも会話の花が咲く。
結局銭湯には入浴できなかったのだけどまだ時間があるから島内一周しようと旧道の山道を歩き始めた。
至る所にこのような地蔵さんがある。
なんと八十八カ所巡り。
港付近にしか店がなく、山道に入ってしまうと自動販売機もない。飲み物を持たず山に入った僕は、喉カラカラで死にそう。死を覚悟したけど、お地蔵さん見て思い直して下山。
今度来るときはもっと涼しい時期に水筒持って歩こう、と誓いました。

沼島灯台

山のてっぺんにある。
昭和三十年頃、沼島沖で船の沈没事故があり設置される。
汽船が主流になる前は沼島は大阪から阿波、土佐に向かう船の寄港地として栄えていた。
人口推移によると江戸後期から明治初期が最盛期であった。
山麓の道筋。
大体沼島の道路はこの幅ぐらい。
そういえば、車はなかなかお見かけできない。
対岸の淡路島の土生港に自家用車を置いている人が多い。
ここらあたり廃屋が多かった。
なんか良い町おこしの方法ないかなあ。
沼島千軒、金の島といって昔はとても繁栄した。
今もその面影がそこかしこに残っている。
港町は開放的だ、昔から色んな文化が海から渡ってくる、
沼島の人はハイカラで洒落てる。

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