2004年9月 日曜日16時
梅小路公園の横手にあるので梅湯。七条七本松を下がったところにある。七条通以南は七本松通が途切れてしまうので分かりにくいが通り名で説明すると七本松西塩小路西入るといった感じか。梅湯の建物は大正末期に建てられたものでずいぶん古いのだが、それだけにこの界隈の歴史の生き証人と言える。周りは畑ばかりだったという創業当時から、町工場が建ちはじめた昭和初期、第一工業製薬の規模拡大と工場閉鎖、その関連施設跡地にはこの数年で建て売り住宅や高層マンションが建ち並びはじめた。このあたりはすっかり変わったと番台に座ったご主人。
西隣は理髪店。一筋隔てた東隣はレトロなしょう油屋、比較的新しい住宅が建ち並ぶ界隈で以前から商店が建ち並ぶ一角であったようだ。後付けされたような玄関スペース、この両側を塀で囲っている銭湯が京都には多いのだが、梅湯は脱衣場の格子窓そのままにその前を駐輪スペースにしている。のれんには男女別が書かれていたのだが、脱衣場への引き戸には明記されておらず、ひょっとして間違ってないかととまどう。男の履き物があれば安心して戸を開けられるのだが、まだお客さんは誰もいない様子、先達はあらまほしきことなり。勇気をもってガラッ! ということで男湯は左側。
番台は囲いがない椅子タイプで左右どちらからでも出入りできる。番台前まで土間になっており、料金を払ってから脱衣場に上がる。総檜の柱に白壁の脱衣場は格天井、浴室前の上部仕切りが格子欄間、その向こうには大きくはないが「岬の灯台をバックにヨットが浮かぶ」風景のモザイクタイル絵がかかる。番台の目先にある小さな首をかしげた黒招き猫はすすけているものの逸品。「磨いたらどれも立派なものやけど」とご主人が言うとおりどれも素材に味がある。そのほかはいたってシンプル、折り鶴ロッカー(鶴亀)、道路側に番台から見えるようにテレビがあり、その前にスポーツ紙が置かれたテーブルとイス。
浴室前スペースは3段差で仕切りはガラスブロック、浴室は昭和48年に改修したままのもので、個人的に私の実家の浴室のタイル使いとそっくりでとても懐かしい。といを四方にはわせた青天井、タイルは壁の白タイル以外、浴槽、床ともに基本はモザイクタイルで、キャラメル色の長方形モザイクの丸みをおびた浴槽枠、群青色の浴槽側面、床は薄緑系のモザイク。キャラメル色の浴槽枠を見ていると本当にキャラメルが食べたくなってきた。丸型島カランが二つあるが、その周囲は排水のため床がゆるやかに低くなっており、その丸みがモザイクタイルを使用した銭湯の暖かみというか手作り感なんだよな。その島カランの上と浅風呂は玉石タイルで、浅風呂には鯉も2匹泳いでいる。
電気風呂と浅風呂との境には横たわった壺裸婦、それを後ろから眺めて・・と電気風呂に入ったら、おー強烈。レトロ銭湯だと思って油断してしまった、失敬失敬。奧のジェットに赤一色のネオンが仕込まれていたが、そういえば外の看板に「赤外線湯」と書かれてあったのがこれのことかも。湯上がりにクーラーに当たっていると目の前に指名手配書が。これが銭湯ならではの指名手配書で膝に何センチの切り傷があるとか、裸にならないと分からない体の傷の特徴が書かれているのだ。その犯人の名前が独特だったので、ネットで調べたら逃亡犯としては結構有名な人らしい、1981年の母子殺害事件の指名手配、1999年に逃亡中に病死とのことで捕まらなかったようだ。ちなみに共犯者は同じ1999年に死刑執行されている。って後半は梅湯に関係ない話になっちゃったね。
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