2004年10月 日曜日18時再訪
ということで2001年のレポートを受けて、脱衣場からは2004年にレポ。番台にはおばあちゃんがちょこんと座っている。お金を払っても気付いてくれない。土間には鶴亀錠の下足箱、隅に二階に上がる階段が付く。その奧から裏路地に行くと男女共同のトイレがあり、女性は男湯の脱衣場を通らないといけないという驚愕の事実。若い女性には「かなわんか?」とおばあちゃん。つまり「トイレに行くには男湯を通らないといけないけれど、かまわないですか?」との配慮だ。
脱衣場は、天井が木張り、ロッカーは鶴亀の折り鶴錠、石田のアナログ体重計、とうで編んだイス、スポーツ紙・・。とここまではちょっとレトロな普通の光景だが、塩湯をあなどることなかれ、男女仕切りに手前からマッサージ機、ルームバイク、ぶら下がり健康機、ルームランナーと健康器具が並ぶのだ。使うのには勇気が要るが、かなりのスポーツ系銭湯だ。はたして入る前、湯上がり、どっちに使うんだろう・・。浴室前は3段(2.5段)差、和風の造り。冷蔵庫は男女ともなし。
浴室は手前から奧へアーチがかかる天井、大きめの湯気抜き、浴槽枠は小豆色タイル、側面はマジョリカとはいかないまでも柄もの、カラン台は赤レンガ調、壁は白タイルで床は丸角のベージュタイル。男女壁の意匠が面白く、森をイメージした緑の細長いタイルをバックに岩風のタイルを張り付け、その前に額縁タイルの中に入った小振りのタイル絵が二つ。筏の川下りと山中の川の風景。島カラン2つもなかなかいい感じ。
壺婦人が湯を流す主浴槽は熱め、ゆっくり入りたいならぬるめの名物「塩湯」がオススメ。貝風の混じりがある特徴的な玉石タイルの水風呂も味がある。カランのシャワーの位置が高く、イスも大きめ。レトロな銭湯だから雰囲気に合わせてイスを使わないで地べたに座ろうとしたら辛かった・・。
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2001年10月
三条御幸町のアートコンプレックス1928で演劇を見た後、三条通を東にチャリンコを走らせる。鴨川を越えて北に上がり、仁王門商店街を東にとる。庶民的な町である。ちょうど風呂桶を抱えた若者が2人、向こうから歩いてきたので、ここらへんかな、と見当をつけて進む。と、洋品店の角を曲がったところに控えめなサカサクラゲの温泉マーク。
正面にまわってみると、なんと立派な格子が入った町家建築。堺町の錦湯さん、そしてこのご近所の柳湯さんに出会ったのと同じ類の感動である。今日は、洋館造りのアートコンプレックスと町家造りの塩湯さんと近代和洋建築を両方楽しんだことになる。木枠にはめられた磨りガラスから脱衣場の明かりがほのかに漏れる風情。男が左、女が右。色分けされた「ゆ」暖簾の鮮やかさがくすんだ木造建築をバックに非常に映える。こういうところでは外観を写真におさめるのを躊躇してしまう。夜にフラッシュを焚くと脱衣場にまるわかりで気まずい、というのもあるが、一見で入りにいって写真を撮っただけですべてを堪能した気分になるにはもったいない銭湯だという敬意がそうさせるのだと思う。またここらへんをブラブラしたときにでもシャッターをおせばいいや、と写真を撮らずに暖簾をくぐる。
タタキ土間である。だいたい暖簾っていうのはタタキ土間の商店で使われることを想定しているんだな、と考えた。ただ単に中が見えないようにする目隠しとしての役割、というのが一番重要なのだろう。現在もほとんどの銭湯に暖簾が掛かっているが、暖簾をくぐり扉を開け、玄関で靴を脱いで、また扉を開ける、というタイプがほとんどである。特に「暖簾をくぐる」という行動に意味はなく形式化されてしまっている、ように思える。
ひるがえって塩湯さんのようなタタキ土間タイプの銭湯は、暖簾をくぐるとそこは脱衣場、裸の人がウロウロしている別世界である。暖簾が着衣の世界と裸の世界をわけている実際的な象徴アイテムになり得ている。ステレオタイプな表現だが、一日の辛い仕事を終えて疲れや汗や垢を落としに銭湯に通い、束の間の休息を楽しみさっぱりと帰っていく、というのが銭湯の役割であるなら、暖簾はさしずめ「憂世と浮世」の境界線か。そんな愚にもつかないことを考えながら服を脱ぐ。
と、途中までの入浴記、2001年当時、私は何を考えていたのか・・(笑)
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