Archive for the ‘見考生活’ Category

参議院選挙

木曜日, 7月 26th, 2007

せっかちなのか当日行けなくなるのが怖いからなのか、選挙は投票日を待てない。ここ数年は必ず期日前投票で先に済ますことにしている。今回の参議院選挙も、投票したのは10日以上前だったかしら。私の中で選挙はずいぶん昔に終わっている気がする。

投票は迷わない。私は、「野党で一番当選しそうな候補」に入れる。とりあえず、数十年間(実質的に)政権与党が交代しないのはいろんな面からリスクが高すぎる。野党が頼りないだとかしょうもないことを言ってないで、いつでも政権を担当できる政党の2つや3つ、われわれ国民が育てていけばいい。未来は僕らの手の中。

アジア人的英語

金曜日, 10月 13th, 2006

北朝鮮が核実験してくれたおかげで、テレビで英語圏以外の外国人、とくにアジア人の英語を聞く機会が多くなった。国連関係者など各国のエリートぞろいだろうが、それでも、中国人の話す英語は文節に「的、了」が入ってる四声調だし、日本人のはのっぺりだし、ハングル英語は語尾がニダに聞こえる。画面を見ずに、今英語をしゃべっている人はどこの国の人だか分かってしまう。

去年、上海のユースホステルで同室の中国人と英語で会話した。彼は上海で開かれる中国ブログ学会に出席する技術者でそこそこの英語ができる。私は「おれ、リンゴが好きだ」、SV、SVC、中学1年生の英語くらい、SVOになるとちょっとヤバいレベル。この2人、お互いの英語の発音がまったく分からないのだ。

上海には旅行できてるのか?という簡単な会話だったが、「travel(旅行)」という単語が通じない。彼は「チャベ(ル)」と言い、私は「トラベル」と言う。え、チャペルってなんだよ、教会か? そういう不毛なやりとりがなんどか続き、私は「ごめん、きみの英語分からないから中国語で話していい?」と、カタコトの中国語でようやくお互いの言ってるのが「旅遊(旅行)」のことだと分かった。

これが英語圏の外国人と英語で話すと日本語発音でも通じるから不思議なのだ。きっと中国人と英語圏の外国人は英語で会話できるのだろう(「中国人の英語は何言ってるか分からない、日本人の方がマシ」という外国人は何人かいたが・・)。なぜか日本人と中国人はお互いの英語が分からない。中国人はたとえば、goodを「クーダ(可的)」と発音する、日本人は「グッド」だからまったくかみ合わない。日本人が英語をカタカナ変換するように中国人は漢字変換してから発音するのでどっちも本来の英語の発音から遠のいてしまうのだろう。

※上海や広東でしっかりした英語教育を受けた人はびっくりするほどきれいな発音なのであくまでもちょっと英語が話せる一般の中国人の話ですが。

今日は買い物に行きました。靴とウインドブレーカーを買いました。

村相撲の風景 DN32

日曜日, 10月 8th, 2006

鴻池新田会所で歴史講演会があったので参加した。秋季特別展「村相撲の風景」の一環としての講演会で、東大阪市に昭和後期まで残っていた弓ヶ濱部屋頭取の長男・山崎隆司氏による「ワシが知ってる村相撲」、大阪歴史博物館学芸員の飯田直樹氏の「大阪相撲の歴史」の2本立て。そう、相撲はスポーツではなくて芸能なんですよ、きみ。

TS350234.jpg山崎氏は自身の父親が勧進元として昭和49年大に阪場所を終えた大相撲の力士を迎えて頭取弓ヶ濱23代目の襲名披露興行を執り行った様子を語った。興行といえば地元の親分との関係によるのは当然だが、親分衆の名前入りのぼりを立てるのに行政からクレームがあり、なんとか習慣だからと説得して立てたなど、いかにも昭和中後期東大阪なエピソードで面白かった。山崎氏は工事会社経営だが、都市近郊農村における有力者が村の娯楽にどのようにかかわっていたかなど相撲を離れて、村落の歴史を考える上でも貴重な話だった。村相撲の伝統は現在、すでに途絶えている。

村芝居や村相撲など都市近郊農村における自前の娯楽・興行機能は、昭和後期までは映画館などに形を変えながらで脈々と受け継がれていた。子どものころを思い出してみれば、学研都市沿線にも何軒も映画館があったがみんななくなってしまった。果たして、娯楽を求める心というのは梅田、難波のような都心の盛り場だけで吸収できるのか、地方郊外における自前の娯楽・興行機能を復活させるニーズはあるのかと考えた。郊外都市にはショッピングセンターとパチンコとラブホがあればそれでこと足りていそうな感じが漂いつつも。

創業に知って得する法律 DN21

水曜日, 9月 27th, 2006

昨日、がんばろうと決めたので午前中は息切れせず、オレってステキ。昼から大阪府中之島図書館の無料ビジネスセミナー「創業に知って得する法律」を聞きに行く。弁護士の関根幹雄氏による2時間ほどの講義。新会社法など法律のさわりを紹介しながら、開業や倒産にかかわったエピソードを語る。経済事案の弁護士はリスクを見越してストップをかけるのが仕事だということが面白かった。

要点まとめ
・経営コンサルタントは夢を語る商売、弁護士は夢をつぶす商売。
・商売には向き不向きがある。
・十中八九、創業する人は売り上げ予想が甘い。
・倒産は恥ではない。高利貸しには絶対手を出さない、手を出す前に倒産した方がいい。
・PL保険について。輸入会社は100%リスクである。
・大企業でも小企業でもPL責任は同じ。小さい会社だからと甘えは許されない。
・つまるところ、現代の経営とは「説明責任」である。

質疑応答では貸し倒れについての具体的事例を展開。面白かったのは学生からの質問で「アフィリエイトがもうかって税務署に目をつけられたので、節税のため会社を作れるだろうか」「ほー、もうかってますか。どのくらい?」「いやまあ・・、ぼちぼち・・」、税務署に目をつけられて言えるわけない。

すたっと京都 DN18

日曜日, 9月 24th, 2006

朝から京都に行く。人と会って、昼は王将太子道店。

昼からは新しく吃音者のセルフヘルプ・グループを作る、その打ち合わせに参加した。11月に発足させるがまだ正式名称が決まっていなかったのでみんなで考える。「すたっと京都」、英語で吃音を表すstutterをアレンジしたもの、とっさに出たアイデアのわりに納得のいく語感だ。

吃音(どもり)は治らないと思っている。治る治らない論争はここ数十年繰り広げられているが、それは障害の度合いによるとしか言えない。いや絶対に治るはずだ、私は治ったからあなたもこの方法を試せば治るはずだとセルフヘルプ・グループの中心で叫ぶ人がいたら、その人は「自分の考えを押しつけない、他人を批判しない」というセルフヘルプの基本を無視した議論の資格もない人だ。

吃音症状を一からげにしても、幼児期に発症してそれが大人になるまで続いている人なら治らないと考えた方がいいし、大人になってストレスで発症した人ならそのストレスが軽減されれば治る可能性があるということ。それにも増して、症状の原因となっている本質的な障害が十人十色だと思う。果たして高機能自閉症のような発達障害の結果として発語において吃音症状が発生しているのか、また、最近調子が悪いという吃音者が病院に行けば鬱病だと診断されることもあろう。詳しいことは不勉強だが、せっかく吃音者という共通点で集まっても、いや、吃音という表層的であやふやな共通点で集まるからこそ、分かり合えずに傷ついてしまうことが多い。各自が抱える「結果、吃音症状として現れる本当の障害」には誰も触れることができない。

症状の治療を考えたとき、私は吃音者というカテゴリー、吃音者のセルフヘルプ行為に懐疑的だ。しかし、吃音によるコミュニケーション不全を改善する、または他人の経験を自分の糧とできる場として、同じ吃音者が集まり、他人の目を気にしないですむ環境づくりは大切なことだと思っている。とにもかくにも、新しいグループを作るときの高揚感は得がたいものだ。