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ダライ・ラマと寝たきり

2006年5月25日 木曜日

人間、苦難に学んで成長していくものである。腰は本当に体の要だなあ、股関節などが硬くて腰に負担がかかったんだから治ったらストレッチやヨガを習慣つけよう、運動は自分のできる範囲で無理せず行わないとな・・、そのほか、体のゆがみや優先的に付けるべき筋肉がどこかとか。この腰痛で学んだことはたくさんある。

とくに腰痛で「まったく動けない」状態になることはなかなか有意義であった。体が動くとあれもこれもと気がはやるだけで何もしない日が続いてしまうのだが、寝たきりという可能性が狭められた世界では映画を見るくらいしかすることがない。いつもは映画よりも他にすることがあるだろう、昼間から働かずに映画かよと自分に制限をかけて、かといって就職活動はめんどうでと働かず遊ばずの無為地獄に落ち込むのだが、寝たきりでは映画を見ることに罪悪感がない。だってこれしかすることないもん。体が痛くて活字は頭に入らないくらいだから映像を見ることが至上の生産的行為になるわけだ。でもって一日中、映画を見ると充実感があるのだ。人の生活の充実度は与えられている環境で最大限有意義なことをしたという満足感の多少によると実感した。

今日は『ダライ・ラマ自伝』(文春文庫)を読んだ。固有名詞が多くて本来的に苦手な部類に入る本だと思うが、映画『セブンイヤーズインチベット』のストーリーや私がチベットを旅行したときに訪れた寺院の風景や人々のまなざしと重ね合わせて興味深く読めた。

私は予備知識なしに偶然にチベットを訪れたのだが、漢民族以外の人が一様に中国を嫌っているのが見てとれて意外だった。街は旧市街を除いてほとんど中国化されているというのに。たしかに嫌うべき根拠は歴史の中にあり、中国の侵略は今も続いている。ダライ・ラマの平和主義にのっとった抑えた筆致が逆に中国の非人道的行為を際だたせている。

また、中国に対するダライ・ラマの考え方は非常に参考になった。私が個人的に今あるグループで取り組んでいる問題では、まさにチベット侵略時の中国のような人を相手にしている。つまり、約束を破ることを恥と思わない人とどう付き合っていくか。彼はできうる限りの良心でもって付き合い、それを周囲は評価しているということだ。