2005年5月 のアーカイブ

大阪府立弥生文化博物館

2005年5月18日 水曜日

大阪府立弥生文化博物館で「東海の弥生フロンティア」展を見る。駐車場の間取りや音声ガイドの方式からして、社会見学の団体客用の博物館というイメージ、団体客がいなければ平日の昼間は恐ろしいほど閑散としている。土器、農工具、副葬品、・・ビジュアルが地味だからなあ、グッとくるのは石棒くらいか。

音声ガイドが無料ということでイヤホンを付けて展示室へ。音声はスポットでなくラジオ方式だったので、流れ作業の感覚。その場はふむふむと分かりやすいのだが、ザッと見たあとに記憶に残らない、途中でイヤホンを外してしまった。何を見たいか何の前でたたずみたいか選べないのは性に合わない。実はいつも劇場や博物館で音声ガイド貸出コーナーを横目に「金があったら借りたいのに」と貧乏の悲哀を感じていたのだが、これからは堂々と横切れそう。

博物館のとなりに池上曽根史跡公園があり、発掘現場の広い土地に大型掘立柱建物などの再現物が点在する。どちらかといえば、古代に思いをはせるというより、広大な史跡公園の横に文化住宅がきゅうくつに立ちならんでいる風景もセットして「20世紀後半の日本における文化事業の史跡」として楽しめる。

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祖母宅を訪問、昼食はステーキを焼く。夕食は焼鳥屋「総本家 備長扇屋」、これまで存在すら知らなかったが全国234店舗チェーンだとか。塩かタレか、あっさり好みの兄が一緒だったので塩を選んだがもの足らず、とくに豚ホルモンはきつかった。私は焼き鳥を塩で味わう才能を持ち合わせていないと判明。祖母は焼鳥屋など初めてで「珍しいねえ」「もうお腹一杯」を連発してあまり食べなかったが、2軒目の「くら寿司」では皿を山積み、可愛らしい。

平田オリザの現場

2005年5月17日 火曜日

昨日の映画『貸間あり』のラストで桂小金治が「さよならだけが人生だ」と言っていた。今日見たビデオは、平田オリザの現場12 青年団第40回公演『さよならだけが人生か』、字面だけで内容はあまり関係なさそう。

先月に京都芸術センターで演劇、五反田団『いやむしろわすれて草』を見た。セリフの言い回しや間、どこで笑わそうとしているかの笑いのツボなどがどうもしっくりこずに心にひっかかったままだった。関東と関西の違いかな? この劇団の芸風? ひょっとして今まで私が関西で見てきた演劇はみんな嘘っぱちでホントの演劇とはこういう間の取り方なのかもしれない、・・こんがらがってきたので、五反田団と役者がかぶっている青年団のビデオを借りてきた次第。

『さよならだけが人生か』

平田オリザがこの作品を表して、あまりかっこよくない前衛、と言っていた。『いやむしろわすれて草』で結婚適齢期の姉妹の父を演じた志賀廣太郎はこの劇でも同じような哀愁おやじである。人物がみな、むずがゆくなる人の良さそうな話し方なのも同じである。なし崩し的にはじまり、オチなく終わるのも変わらない。雨の工事現場の事務所で作業員、発掘バイト学生、ゼネコン社員、文化庁職員などが入れ替わり立ち替わり劇中ではなにも結論が出ない会話を重ねるだけで、それぞれの人物の人となりや境遇に共鳴することはあっても劇全体としてはその意味を把握できずに焦った。「おれって感受性ないんだよなあ」、その不安はパッケージの説明文を読んで緩和された、「青年団史上、もっともくだらない人情喜劇」。

平田オリザの現場14 青年団第46回公演『南島俘虜記』

国際法の遵守が求められる現代の戦争(つまり、戦争といってもある場所や条件によって人権が守られるへんてこりんさ)へのやゆと捕虜収容所での退屈と危機感のなさがテーマ。捕虜収容所は現在の日本の姿でもある。と感じるのはまさに私の日常がこの捕虜収容所と同じようなものであるからだ。捕虜のセックスは禁止なのに妊娠する女性兵がいるユルユル状況で、日本兵に反感を持つ現地の少女が「生きること以外全部禁止にすればいいのに!」と言い放つ、でもいっそのこと全部禁止された方が緩慢な退屈さよりはましなんじゃないかと思ってしまうほど、日本に生きる私は平和ボケ、やめられまへんなあ。

『いやむしろわすれて草』での違和感は、『さよならだけが人生か』が作劇方法も役者も似かよっていることからそのままシンクロしており、『南島俘虜記』では薄まっている。『南島-』は役者がほとんどかぶっていないことが大きいが、収容所で交わされる“非日常”会話は不自然なものだし、その不自然さは私が演劇としてしっくりくると感じる「ちょっと気張った間」に近いのかもしれない。それにしても青年団(五反田団)の日常会話、しっくりこないなあ、関東の人みんなああなの? 教えてエロい人。