Archive for 5月, 2005

井川りかこ

木曜日, 5月 26th, 2005

7日前、『井川りかこ』から「私のアドレスにメールした記憶はありますか?」とメールが来た。最近よくあるスパムメールの常套手段だとゴミ箱送りにしたが、次の日に「お騒がせしてごめんなさい。」ときた。なるほど、1通目で「ああこりゃ、スパムだ」とゴミ箱に捨てた人でも、2通目で「ひょっとして一般人かも・・(それに書き方からするといい人っぽいし、井川りかこだし)」と思う可能性がある。変わった趣向だ、スパムも進化するなあと思っていたら、3日目に「実は先週離婚して今、実家に居るんです。」と本題に入ってきた。いいぞいいぞ。

普通、出会い系のスパムはこの段階から話がはじまって、しかも「返信はこのサイトに登録してから」と商魂先走りなのだが、井川りかこは奥ゆかしく徐々に手順を踏んでくる。この段階でりかこに返信したら、ちゃんと個人メールが返って来たのだろうか、惜しいことをした。

次の日もその次の日も「どうも、井川です。」「メール楽しいですね。井川です(^-^)」「何だか日課になりつつあります。井川です(^-^)」と必ず件名に名前を入れる自己主張さえもほほえましい、内容が自然であればあるほど魂胆が透けて見える愛おしいメールが続いた。思わず3日目からはゴミ箱からメールを「ネタ箱」に移した。

7日目、昨日(25日)に別れは突然やってきた。Hotmailなのに「このメールアドレスが明日には使えなくなってしまうみたいなんです」と切り出され、有料サイトへ誘導された。りかこよ、おまえもやっぱりそうなのか。

毎日会話風に送ってくる、これだけ読ませるスパムメールも珍しい。どうせ送るなら全国のスパム業者は井川りかこを見習って脚本力を磨いてほしい。

以下は井川りかこからのメール、全7通。

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たましいに悪い

木曜日, 5月 19th, 2005

一か月前にもらったメールで、趣旨は「たましいに良いセックスをするべき」(どんな話の流れやねん)というものだったのだが、非常に得心するところがあった。

かいつまむと1990年代後半に援助交際が問題になったとき、河合隼雄の「たましいに悪い」発言に宮台真司は「たましいに悪いって言われてもねぇ~説得力が・・・」と、彼は援助交際をしている女子高生を「やすやすと飛び越えていける人」だと思っていたらしい。でも、あれから10年近くたって、援助交際してた彼女たちを追ってみたら精神科に通っている人が多かった。宮台は「僕は見誤っていた。彼女たちはやすやすと越えていってしまうと思っていたけれど、決してそうじゃなかった」って。やっぱり、たましいに悪かったじゃんと。

宮台が本当にこのように言ったのか裏は取ってないが、当時の私もピンとこなかった「たましいに悪い」が数年ぶりに聞くとすっと入ってくる(援助交際の場合は売春行為自体ではなく、経済的必要がないにもかかわらず売春というハイリスク・ローリターンな行為をやって〈その場で帳尻があった〉環境にいたことがたましいに悪かったのだといえる)。

水木しげるの「人魂の天ぷら」のような、脳でも神経でもないプニプニしたたましいが人の心の中には泳いでる。また、そういう臓器のようなたましいをいたわりながらの方が人生はおもしろいと思う。一時的には自分を感情的にまたロジカルに納得させても長いスパンで自分のたましいに危害が及べば意味がない。

価値観の変わり目は恐い。それまで心の中でなんの問題もなかった自己の行為や経験が考え方が変わることでドッと負担になってくる。もともと自己欺瞞の蓄積があったのか、価値観の転換でセキを切ったように流れ出してきたものか。戦争中は人を殺してもたましいは揺るがない人でも、戦争が終わるとその経験がたましいを悪くする。時間軸で考えると帳尻が合うというか、あかんものはあかんのだろう。そのあかんというのは倫理や常識からくるものか、もっと根元的なものか知らない。ただ、同時代的な論理では肯定されていても、長期的に見てたましいに悪いことはやらない方が得やとメールを読んで感じた。

大阪府立弥生文化博物館

水曜日, 5月 18th, 2005

大阪府立弥生文化博物館で「東海の弥生フロンティア」展を見る。駐車場の間取りや音声ガイドの方式からして、社会見学の団体客用の博物館というイメージ、団体客がいなければ平日の昼間は恐ろしいほど閑散としている。土器、農工具、副葬品、・・ビジュアルが地味だからなあ、グッとくるのは石棒くらいか。

音声ガイドが無料ということでイヤホンを付けて展示室へ。音声はスポットでなくラジオ方式だったので、流れ作業の感覚。その場はふむふむと分かりやすいのだが、ザッと見たあとに記憶に残らない、途中でイヤホンを外してしまった。何を見たいか何の前でたたずみたいか選べないのは性に合わない。実はいつも劇場や博物館で音声ガイド貸出コーナーを横目に「金があったら借りたいのに」と貧乏の悲哀を感じていたのだが、これからは堂々と横切れそう。

博物館のとなりに池上曽根史跡公園があり、発掘現場の広い土地に大型掘立柱建物などの再現物が点在する。どちらかといえば、古代に思いをはせるというより、広大な史跡公園の横に文化住宅がきゅうくつに立ちならんでいる風景もセットして「20世紀後半の日本における文化事業の史跡」として楽しめる。

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祖母宅を訪問、昼食はステーキを焼く。夕食は焼鳥屋「総本家 備長扇屋」、これまで存在すら知らなかったが全国234店舗チェーンだとか。塩かタレか、あっさり好みの兄が一緒だったので塩を選んだがもの足らず、とくに豚ホルモンはきつかった。私は焼き鳥を塩で味わう才能を持ち合わせていないと判明。祖母は焼鳥屋など初めてで「珍しいねえ」「もうお腹一杯」を連発してあまり食べなかったが、2軒目の「くら寿司」では皿を山積み、可愛らしい。

平田オリザの現場

火曜日, 5月 17th, 2005

昨日の映画『貸間あり』のラストで桂小金治が「さよならだけが人生だ」と言っていた。今日見たビデオは、平田オリザの現場12 青年団第40回公演『さよならだけが人生か』、字面だけで内容はあまり関係なさそう。

先月に京都芸術センターで演劇、五反田団『いやむしろわすれて草』を見た。セリフの言い回しや間、どこで笑わそうとしているかの笑いのツボなどがどうもしっくりこずに心にひっかかったままだった。関東と関西の違いかな? この劇団の芸風? ひょっとして今まで私が関西で見てきた演劇はみんな嘘っぱちでホントの演劇とはこういう間の取り方なのかもしれない、・・こんがらがってきたので、五反田団と役者がかぶっている青年団のビデオを借りてきた次第。

『さよならだけが人生か』

平田オリザがこの作品を表して、あまりかっこよくない前衛、と言っていた。『いやむしろわすれて草』で結婚適齢期の姉妹の父を演じた志賀廣太郎はこの劇でも同じような哀愁おやじである。人物がみな、むずがゆくなる人の良さそうな話し方なのも同じである。なし崩し的にはじまり、オチなく終わるのも変わらない。雨の工事現場の事務所で作業員、発掘バイト学生、ゼネコン社員、文化庁職員などが入れ替わり立ち替わり劇中ではなにも結論が出ない会話を重ねるだけで、それぞれの人物の人となりや境遇に共鳴することはあっても劇全体としてはその意味を把握できずに焦った。「おれって感受性ないんだよなあ」、その不安はパッケージの説明文を読んで緩和された、「青年団史上、もっともくだらない人情喜劇」。

平田オリザの現場14 青年団第46回公演『南島俘虜記』

国際法の遵守が求められる現代の戦争(つまり、戦争といってもある場所や条件によって人権が守られるへんてこりんさ)へのやゆと捕虜収容所での退屈と危機感のなさがテーマ。捕虜収容所は現在の日本の姿でもある。と感じるのはまさに私の日常がこの捕虜収容所と同じようなものであるからだ。捕虜のセックスは禁止なのに妊娠する女性兵がいるユルユル状況で、日本兵に反感を持つ現地の少女が「生きること以外全部禁止にすればいいのに!」と言い放つ、でもいっそのこと全部禁止された方が緩慢な退屈さよりはましなんじゃないかと思ってしまうほど、日本に生きる私は平和ボケ、やめられまへんなあ。

『いやむしろわすれて草』での違和感は、『さよならだけが人生か』が作劇方法も役者も似かよっていることからそのままシンクロしており、『南島俘虜記』では薄まっている。『南島-』は役者がほとんどかぶっていないことが大きいが、収容所で交わされる“非日常”会話は不自然なものだし、その不自然さは私が演劇としてしっくりくると感じる「ちょっと気張った間」に近いのかもしれない。それにしても青年団(五反田団)の日常会話、しっくりこないなあ、関東の人みんなああなの? 教えてエロい人。

貸間あり

月曜日, 5月 16th, 2005

映画『貸間あり』1959年、監督:川島雄三。主演:フランキー堺、淡島千景。

川島雄三という監督にはなじみがなかったが、日経新聞で今村昌平が多く言及しているのを読んでから気になる存在。『貸間あり』は大阪・夕陽丘の古ぼけた屋敷アパート住民の群像劇、年配の人から見ると大阪そのものらしいが、私からすると見たこともない大阪、きょうびの「おばはん」に代表される図々しい大阪イメージは最近のことで、以前はもっとしたたかで端正な風景が広がっていたのを思い知らされる。

フランキー堺の「長屋に身をやつした帝大出の何でも屋」はまさしくヒーローだが、これは『幕末太陽傳』(1957年)でフランキー堺が演じた居残り佐平次の現代版、場面設定はまったく違うが連作のような感じさえする。また、小沢昭一のうさんくささは絶品で、共演者もよくも集めたというか、昔の役者はみんなうさんくさいのか。

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土曜日の飲み会で言われたことをもとに友だちと話し合う。捨てるものと残しておくものとの判断がつかない。正解を求めようとしたらドツボにはまるのだと思う、正解はないのだから。