たましいに悪い

一か月前にもらったメールで、趣旨は「たましいに良いセックスをするべき」(どんな話の流れやねん)というものだったのだが、非常に得心するところがあった。

かいつまむと1990年代後半に援助交際が問題になったとき、河合隼雄の「たましいに悪い」発言に宮台真司は「たましいに悪いって言われてもねぇ~説得力が・・・」と、彼は援助交際をしている女子高生を「やすやすと飛び越えていける人」だと思っていたらしい。でも、あれから10年近くたって、援助交際してた彼女たちを追ってみたら精神科に通っている人が多かった。宮台は「僕は見誤っていた。彼女たちはやすやすと越えていってしまうと思っていたけれど、決してそうじゃなかった」って。やっぱり、たましいに悪かったじゃんと。

宮台が本当にこのように言ったのか裏は取ってないが、当時の私もピンとこなかった「たましいに悪い」が数年ぶりに聞くとすっと入ってくる(援助交際の場合は売春行為自体ではなく、経済的必要がないにもかかわらず売春というハイリスク・ローリターンな行為をやって〈その場で帳尻があった〉環境にいたことがたましいに悪かったのだといえる)。

水木しげるの「人魂の天ぷら」のような、脳でも神経でもないプニプニしたたましいが人の心の中には泳いでる。また、そういう臓器のようなたましいをいたわりながらの方が人生はおもしろいと思う。一時的には自分を感情的にまたロジカルに納得させても長いスパンで自分のたましいに危害が及べば意味がない。

価値観の変わり目は恐い。それまで心の中でなんの問題もなかった自己の行為や経験が考え方が変わることでドッと負担になってくる。もともと自己欺瞞の蓄積があったのか、価値観の転換でセキを切ったように流れ出してきたものか。戦争中は人を殺してもたましいは揺るがない人でも、戦争が終わるとその経験がたましいを悪くする。時間軸で考えると帳尻が合うというか、あかんものはあかんのだろう。そのあかんというのは倫理や常識からくるものか、もっと根元的なものか知らない。ただ、同時代的な論理では肯定されていても、長期的に見てたましいに悪いことはやらない方が得やとメールを読んで感じた。

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